スタインウェイの上、オレンジジュース2
21歳のころ。バイト先の代表に今月いっぱいで退職させてもらいたいという希望を
伝えようと思い立ったとき、再びあのマントラが聞こえて来た。
「今日できることは明日にのばせ」
約一年間。井の頭公園の近くにあるチェロ教室でアルバイトの講師をしていた。
生徒の多くは小金持ちを旦那に持つ品のいいマダムだった。
チェロを抱えながら気楽におしゃべりして1時間経ったらハイオワリ。5000円。最高!
受け持ちの生徒は13人。割りのいいバイトだったけれど腕に「おまんこ」と書いてくれた受付の女の子はドイツ留学のため既に辞めてしまっていた。最低!
新しく入った事務の女の子は三菱系の石油会社勤務でガボン共和国に駐在している彼氏の話ばかりしていて退屈だった。最低!
僕のコルチゾール値はどうでもいいガボン共和国の話を聞くに伴って著しく上昇していった。なんだかちょっとずつチェロ教室に嫌気が差していった。
それになにより、バイトをしてお金を貯めたところでもう使い道がなかった。付き合っていた彼女と旅行に行くためにお金を貯めていたけれど突然振られてしまったからだ
「水着からクラッカーのひもが出ているよ。パーンッ!」
区民プールで泳いでいたときに、彼女の水着からタンポンのひもが出ているのが見えた。
僕はユーモアとオブラートに厳重に包みこみ、ひものことを指摘してあげたつもりだったが、結局その発言から全てがギクシャクし始め、なんやかんや次の日には別れ話を持ち掛けられてしまった。
プーケットへの旅行は立ち消えとなった。お金だけが残った。
これ以上稼いでも仕方ない。バイトを辞める潮時だった。