御冗談でしょう?中畑さん。8

「どうしても外せない取引先とのアポイントメントがあったので駐車場までは行きました。しかしそこで倒れてしまったというわけです。」

 

中畑はリタリンの粉末を再度スニッフしてからそう言った。

「それから吃音の症状が出始めたんです。倒れてしまったときに頭を打ったわけではありません。高熱以外の症状もありませんでした。ご覧のとおり、身体には何の異常もない。」

僕は再び中畑にリタリンを勧められたが、止めておくことにした。

「中畑さんの吃音については今日お会いしてすぐに気が付きました。僕は医者ではないのでわかりませんが高熱と吃音との間には何かしら因果関係があるのでしょう。けれどわかりません、どうして中畑さんはモグラの死体を人の家のポストに入れて回るのでしょうか。僕はそこに如何なる関係も見出すことが出来ないんです。なにより、中畑さんのやっていることは法律に引っかかるのではありませんか?」

中畑はハンカチで鼻についた粉末を拭ってから、グラスに入っている酒に口をつけた。

時間にして30秒ほどだろうか、中畑は口を開いた。

「確かに私のやっていることは法的に罰せられる種類の事柄でしょうね。倫理的にも問題があるかもしれない。しかしある事柄についての価値判断をあなたが早急に下さない人間なのはわかっています。だからこうしてお話ししているんですよ。私は隔週日曜日、モグラを他人の家のポストに入れます。次は来週の日曜日です。」

 

『モーゼとアーロン』の再生が終わり、部屋からは一切の音が消えた。静寂の中でも中畑は何かの音を聴いているように首をゆっくり動かしながらグラスに手を伸ばした。

 

「もぐらを入れるポストの選定には何かの基準があるのでしょうか。それとも無作為に入れているんですか?」

正直に言って僕は混乱していた。『モーゼとアーロン』「モグラ」「吃音」?わけがわからなかった。リタリンが切れてしまい僕は集中力というものを失っていたのかもしれない。暗い海の底のような場所に沈んだ集中力を必死に手繰り寄せようとしたが無駄だった。仕方なく僕は鼻をトレーの方に近づけた。

「基準というような大げさなものではありません。しかし無作為というわけではありません。近々、私は碑文谷に行くつもりでいます。碑文谷にはあの女の子の実家がありますからね。彼女の家のポストにもモグラを入れます。これは既に決まっています。」

僕はカンフーを披露したあとで眠ってしまった女の子の様子がとても気になった。彼女はポストに入ったモグラの死体をみてどんな気持ちになるのだろう。誰か他の人間がポストを開いてくれたらいいなと思った。少なくとも彼女にモグラの死体なんて見てほしくなかった。

「どうしてあの子の実家のポストにモグラの死体を入れるんですか」

中畑は再び丸めた紙を鼻に近づけていた。沈黙

「今は言えません。けれど彼女自身に悪いことは起きないと思いますよ。」

中畑はそう言うと小さなあくびをした。