富士額

「持っている富士額をみてみたいんですよ。悪い話じゃない。オフィシャルな場でお会いするので構いません。少しでも怪しいと思ったら逃げればいいんです。」

 

私はイヤホン越しに聞いた野太い声を耳の外に追い出そうと試みながらJR山手線渋谷駅で下車する。青山学院方面に向かってトコトコ歩き、赤信号で突っ込んでくるレンジローバー・ヴォーグが眼の前を通り過ぎるのを待つ。どういうわけだか浮浪者が道路を掃いている。

 

午前10時。貸し会議室のあるオフィスビルに入る。

12時のお昼休憩までの二時間。私はメモ帳に正の字をつけながら一時間当たり15件電話をかけていく。午前中に30件こなせば午後の仕事は少しだけ楽になる。お弁当のいんげんをボリボリと咬みながら男の話を思い出す。

「ところであなたの周りにはいわゆる富士額の人っていますかね」

パソコンにデータを入力したらすぐ次の電話番号を入れる。見込みなし。

男の話を頭の片隅に追いやろうとするがなかなか上手くいかない。

「電子決済はあまりご利用にならないですか?」

私は電子決済端末を飲食店事業者に導入する営業の電話を渋谷の貸しオフィスからかけている。