手を挙げて。私は足を挙げる2

静音さんは西日本でカステラ屋を営んでいる家の次女として周囲からたくさんの。つまり雑多な愛情を注がれて育った。

彼女を取り巻く人間。つまり、静音さんの家族は彼女を甘やかしているというわけでもなかった。彼女はテレビを見ないで育ったしそれほどの金額をお小遣いとしてもらっていたわけでもなかった。

彼女は中高一貫の女子高に通っていた。同級生は士業や開業医、中小企業経営者の娘が多かった。中小企業の経営者と整形外科医の娘を別として静音さんの周りにいる人間も大人しい人間が多かった。

静音さんは母親のことがそれほど好きではなかったが反対に父親のことをとても慕っていた。

彼女の父親はそのまた父親である男。つまり静音さんの祖父にあたる人物からカステラ会社を31歳の時に引き継いだ。

彼女の父親は絶えず会社の規模を維持・拡大させていくために一生懸命働いていた。とても誠実な人物だった。二世のドラ息子だとは思われたくなかったし、彼の父親が事業拡大した会社を堅実に次の世代に継承することを自らの人生における重要な使命だと思っていたのだ。

静音さんの父親にはある種の行動規範があった。彼がその行動規範を誰から継承したのか、あるいはどのタイミングでそれをこさえたのか。それは誰にもわからない。

 

「一流の商人であれ。一流の詩人であれ。」

 

静音さんは小さい頃から父親のそういう言葉を漠然とではあるが好意的なイメージでもって耳に入れていた。

彼女は父親から引き継いだ行動規範の片方。つまり一流の詩人であることをまずは自分の行動規範に設定することにした。

静音さんはそれほど多くの本を読んだわけではない。人並み程度の本しか読んでいない。しかし彼女の言葉は思春期の女の子が振り回すようなベトベトした感性からすでに脱皮していた。見事な抽象的観念と素朴な具体性の橋渡し。彼女の言葉はそのような高度な次元で紡がれていた。

彼女は自分が武器として類まれな言葉を操ることができるということに意識的だった。

 

静音さんはしかるべきタイミングがくると自身の胸の内に沈殿しているドロドロとした物事を言語化して大学ノートにサラサラと書き記していった。そしてまたドロドロが沈殿するまでの間、平和な時間を過ごした。平和な頃には決まって生理がきた。

 

彼女が書いたなかで、とりわけ評価が高く、また文壇で成功をおさめた詩は彼女が高校三年のときに 思潮社の現代詩手帖に掲載されたものだった。

 

彼女にはトイレで「あ゙あああああああ」と叫ぶクラスメートがいた。

まだ音姫などない時代だった。みんな尿を出す前に水を流して尿の音を消していた。

クラスメートはそれでも「あ゙あああああああ」と言うことでおしっこの音を消した。

同級生や下級生。ときには上級生の何人かが「あ゙あああああああ」という声を聞いて泣いた。

まだ高校生だった静音さんはクラスメートの出す叫び声のようなものをしっかりと自分の胸の中に閉じ込めた。彼女は自身のドロドロとした感情を言語化し、そのドロドロに明瞭な輪郭をもたらす高度な観念操作を行うとき「あ゙あああああああ」と叫ぶクラスメートのことを思い出した。

彼女の文壇処女作「石材屋。濁点。声。」はこうして生まれた。