御冗談でしょう?中畑さん。10

「『「絵を描く人の絵」を描く人の絵』を描く人の絵を…」

                       再帰性

 

ムッシュ中畑の吃音はなくなっていた。薬が効いているのだろうか。とても素敵な声をしていた。テレビCMのナレーションとして食べていくこともできるのではないか。僕は真剣にそう思った。彼は控えめだけれど気持ちのいい声で生ビールを注文した。

僕はお代わりのジンジャエールをもらった。

「女の子にしばらく連絡してこないでほしいと言われました。何かあったのか聞こうにも返事がなく心配していたんです。中畑さんならなにかご存じじゃないかと思ったんです。」僕はグラスに着いた水滴をナプキンで拭いてそう言った。

「ええ、彼女の今置かれている状況についてはおおよそ把握しています。」中畑はそう言った。

「どうして彼女と連絡がとれないんでしょうか。今までそういうことはなかったんです。自分が何か女の子を傷つけるようなことを言ったのかもしれないとも考えました。しかし皆目見当がつかないんです。」

中畑は薄い琥珀色の液体が入ったグラスをほんの少しだけテーブル右端に移動させた。

「他人を傷つけてしまったとき、当該個人は往々にしてどうして相手を傷つけてしまったのか見当をつけられないものです。知らず知らずのうちに、私もあなたも周りにいる人間を傷つけてしまっているかもしれない。もし傷が治癒しないほど深いものであれば、相手は去っていきます。逆に運よくそれが浅い傷であれば事なきを得る。そして交流は保たれます。安心してください。あなたは女の子を傷つけたわけではありません。それは私にもわかります。彼女はあなたのことを嫌いになったわけではありません。原因は別の事柄に由来しています。」

 

「女の子もそう言っていました。別に僕のことが嫌いになったわけではないとラインがきたんです。今中畑さんもそういった趣旨のことをおっしゃいました。ならばそういうことなんでしょう。ではなぜ、女の子は僕と連絡がとれないんでしょうか。中畑さんがおっしゃる別の事柄とはいったいなんですか?」

ムッシュは銀色のピルケースからリタリンを一錠とりだし白ワインで流し込んだ。

みたところ既にピルケースは空になっていた。あまり時間は残っていないのだろうなと僕は思った。

「あなたは合成樹脂などの原料を製造している化学メーカーの株価が不正に引き上げられた話をご存知ですか?」中畑は言った。

「いえ、全く知りません。」僕は株や経済方面に全く知識がないことを認めた。

「違法に株価をつり上げたのは、とある仕手グループです。仮にJ筋と名前を付けておきましょうか。この仕手グループは『されば鈴の音』というウェブサイトを運営していました。仕手グループは『されば鈴の音』で大相場になるであろう銘柄としてさきほどの化学メーカーの名前を挙げました。いわゆる相場操縦ってやつですね。」

「その相場操縦と女の子にどういった関係があるのでしょうか?」

 

僕はお行儀のいい生徒よろしく中畑に質問した。